こんな小学校時代でした
前回、「読書感想文を書く!」に1票を投じたとは言え、はいそれじゃあ、とはいきませんよね。以下、私の昔話をご紹介します。
私はこれまでわりと多くの本を読んできたつもり(今でもパソコンやスマホに向かうよりは本に向かっている時間のほうが長いかも)ですが、そんな私でも生まれたときから本を読んでいたわけではなく、もちろん読書感想文なんて書くつもりで本を読み始めたわけではありません。小学生の頃は、夏休みも残すところ数日という頃になって、ようやく動き始めたのです。
しかし、いざ本を読もうと思っても、普段から本を読まない子の家に読書感想文を書くのに相応しい本があるはずもなく、暑い中を嫌々ながら図書館に赴き、それだけでくたびれ果ててもう本を探す気力もない中でつい目に留まるのはなぞなぞ本、クイズ本、迷路本など、見て楽しい本ばかり。閉館間際になってコレではいけないとようやく気付き、なんでもいいからとにかく「読める」本を探し始めます。
そして、なんとなく文字がたくさん書いてあって、これを読んだらとりあえず「何か」書けるだろうという本を選び、別れの曲(ショパン)をBGMに聴きながら受付カウンターで貸出手続きを済ませて家に帰ります。
そんなふうにして持ち帰った本だから、一向にページが進みません。夏休み終了のゴングは刻一刻と近づいてきます。
どうやって読書感想文という試練を乗り越えてきたか。
自然の流れとして陥るのが、本文の書き写しですよね。よくあるパターン、というより私自身の経験を元に(ほぼそのまま)説明します。これを真似しろということではありません。決して真似をしてはいけません。
【手順】
①一応なにか本を読む。
②いちばん心に残ったところ、というよりは、いちばんお話が盛り上がったシーンを選ぶ。
③自分の感想も織り込みながらほぼ本文を写す。
【例】以下、架空の物語についての感想文
わたしは△△(主人公)がうちゅうへかえっていくばめんで、とてもかなしくなりました。それは△△が「ぼくはそろそろうちゅうへかえります。うちゅうへかえったら、ふたたびこのちきゅうにあそびにくることはできないかもしれません」といったからです。いちどうちゅうへかえってしまったら、もうちきゅうにはあそびにくることができないということは、にどとあえなくなるからです。わたしは、△△にまたあいたいとおもいました。できれば、うちゅうにかえらずに、このままちきゅうにいてほしいとおもいました。
でも、そのあと△△がいったことばで、△△をおうえんしたくなりました。「ぼくはうちゅうへかえったら、このちきゅうでまなんだおこめのつくりかたをうちゅうのみんなにおしえて、うちゅうでもおいしいおこめをつくってみんなでたべようとおもいます。」ということばです。わたしは、△△はうちゅうへかえって、ちきゅうでまなんだおこめのつくりかたをみんなにおしえて、たべものがなくてこまっているうちゅうのみんなでたべようとおもったのだとわかりました。。△△がうちゅうのみんなにおこめのつくりかたをおしえてあげて、うちゅうのみんなでおいしいおこめをつくっておなかいっぱいたべてほしいとおもいました。
(注:1年生用の想定なのでひらがなで書きました。読みにくくてスミマセン)
こんなふうに書くと、一見がんばって感想を述べたようにも読めますが、よーく読んでみると主人公△△が言ったセリフを「カギカッコ」を使ってそのまま丸写ししていますし、その後は△△のセリフをほぼなぞって「〜からです」「〜とわかりました」をくっつけただけ、ですよね。これで前段約12行、後段約15行が埋まるわけです。原稿用紙で800字(青少年読書感想文全国コンクールの場合)ということは、1行が20字ですから、40行でいっぱいになります。そのうちの27行、つまり7割近くが埋まるのです。これをやらないテはない、と誰もが思うわけです。
(誰もが、と書きましたが、皆さんを勝手に私と同じにしてしまって申し訳ありません。こんなことをしたのは私ひとりだと思います。)
これでは、せっかく必死で書き上げても、その後は誰にも読んでもらえないまま眠ってしまう感想文です。初めは「嫌々」でも、せっかく書くのなら読んでもらえる作品に仕上げましょうよ。
え、どうやって?
はい、次の回から詳しく紹介してまいります。